
IT業界にはなぜか「自分に厳しい人」が多い印象を受ける。
わたし自身、自分に厳しいのかといえばそうではないと思っているが、人からは「ストイックですね」と言われたりする。
もしかしたらIT業界とは基本が「厳しい」業界なのかもしれない。
自分に厳しいことは何も悪いことではなく、むしろ成長する姿勢があり素晴らしいと思う。
だが時折この「厳しさ」で自分自身を苦しめている人を見かける。
そんな時はなんともかわいそうな気持ちになるのだが、本人はそうは思っていない。
「まだまだだ」と言っているのである。
その戦う姿勢は立派だが、結果として気づかぬうちに体調を崩したりうつ病になる人がIT業界にはあとを絶たない。
そこで「まだまだだ」と自分に鞭を打ちまくる人へ届けばいいなという思いで1つガンダムの話を書いてみよう。
シャアが見てるのだぞ、シャアが!
初代ガンダムを見た人なら聞いたことがあるセリフ「シャアが見ているのだぞ、シャアが」である。
このセリフはあまり印象がない「コンスコン」が叫んだ言葉だ。
ガンダムで登場したのは第33〜34話で物語の終盤に突入したあたりだろう。
この時のアムロは既にニュータイプに覚醒する段階でもはや「敵なし」状態だった。
そのアムロの圧倒的強さに叫んだ男がジオンの准将「コンスコン」である。
ではこのセリフが叫ばれたシーンを回想してみよう。
ジオン公国と最終決戦に向けてサイド6で補給を行うホワイトベース隊へ対して強襲を仕掛けたのはコンスコンである。
彼はジオン軍の中でも准将という階級が高い軍人。
ただ見た目はどう見ても大企業で既得権を肥やしたような上司に見えるのはわたしだけではないはず。
外見の問題はともかく、シャアへ向けた言葉が「彼らしさ」を最も感じる。
自分をみっともないと思わんのか?
木馬は何度取り逃がしたのだ?
まったく。私の手際を見せてやる、よく見ておくのだな。
このセリフを聞いてシャアの肩を持つ人間は多かっただろう。
ここまで印象を悪くさせる人間を演じるのも現実世界では苦労がいる。
その後、ホワイトベース隊を襲撃するためにムサイと12機のリック・ドムで攻撃を仕掛けるも、バケモノ相手には全く歯が立たない。
全滅まで3分も経たなかった。
圧倒的すぎるアムロの前ではコンスコンが有能、無能のレベルではないのだ。
コンスコンの有能、無能の以前にアムロが強すぎたと皆いうがそれくらい圧倒的だった。
ここで冷静に人間の心理を観察してみる。
アムロの想像以上の強さにコンスコンは内心で「撤退したい」と思ったはずだ。
確信したのは、このセリフを吐いた時の反応だ。
12機のリック・ドムが全滅?
3分もたたずにか?…
だが彼の中で「撤退」はできなかった。
それはシャアがその場にやってきたからだ。
彼を侮辱した手前、自身が敗退したではメンツを保てなかったのだ。
この時点でコンスコンは自分自身を生きてない。
シャアの意識の中で自分を生きぬこうとしている。
こうなってしまったのはシャアに「拳を振りあげた」からに他ならない。
コンスコンはシャアに向かって「拳を振りあげたことで行き場を失った」のだ。
こうなると人は狭い選択に陥る。
コンスコンの場合は、最終的には「死」を選択することに。
この言葉と共にコンスコンは終了する。
物語の構成上アムロの強さを見せるために「かませ犬」が必要だったのだろうが、わたしは「かませ犬」役をさせられたコンスコンにも同情したい。
コンスコンの役目は単に「かませ犬」や「既得権を肥やしたおっさん」だけの意味ではないと考える。
それよりコンスコンの行動心理を現実に当てはめると学ぶこともある。
【自分で自分を苦しめる】振り上げた拳のもって行き場がない
ではここからが本題だが人の心理について。
特に「自分で自分を苦しめる人」の例をコンスコンに当てはめてみる。
共通するのは「振り上げた拳のもって行き場がない」という状態になっていることだ。
コンスコンの戦闘もまさにそれである。
彼を殺したのは彼自身だ。
撤退するとシャアにメンツが立たない。
だから撤退はできないと考えたコンスコン。
撤退する「恥」をかきたくないという気持ちは物凄くわかる。
わたしも出来れば「恥」はかきたくはない。
ただそれで結果「死」を選択するのは間違えだと言える。
でも時々人は「恥」より「死」のパターンを選んだりする。
それはなぜだろう。
なぜか人は「恥をかき捨てる」ことができない。
それは自身の無駄なプライドがあるからだ。
「プライド」とは「自尊心」とは違う。
プライドを和訳してみればわかるが「横柄さ」「傲慢さ」「自惚れ」などの意味になる。
つまり「死」より「恥」を選択する方がプライドが傷つかないと考えるのだろう。
第三者からしてみれば「恥」は一瞬のことであり、「死」は終わりを示すもので全く比重が違う。
しかし「自分で自分を苦しめる人」とは「プライドが高い人」が多いのである。
「プライド」を捨てれない人は「自尊心」と混同している思考になっているからだと考えられる。
「自尊心」とは自己の尊重であり、全くもってポジティブな要素。
「プライド」とはさっきの説明の通りネガティブな要素なのだ。
この混同により「プライド」を捨てることは「自尊心」がなくなると考えてしまう。
しかし、この考えには全力で反対だ。
本当に「自尊心」がある人間は「プライド」に執着しない。
「自尊心」は自分の失敗も許している人間の方が高いのだ。
またこれまでたくさんの人を見てきたが、「生きている」だけで価値があるとは本当である。
そこに「プライド」はなくてもいい。
人は「生きている」だけで影響を与えている存在で、それに気づくことがまず「プライド」を捨てるステップになる。
プライドはないのか!
昔の情熱系アニメなのではこの類のセリフが普通だった。
そして言われた人物は頑張ってた。
無理をして。
しかし今は無理をして頑張る時代ではない。
時代は変わっている。
それはアニメが教えてくれている。
今時、「気合いだ」と叫んでいるアニメはそうそう見ないのと同じで時代も「気合いだ」や「プライドだ」で物事を進めることを求めていないのだ。
ファーストガンダムは既に39年以上昔のアニメなので「気合い」で乗り切るシーンも多いのだが、時代を感じさせるのは否めない。
ガンダムを見て「古い」と思うこと、それが正常だとわたしは思う。
もし「気合いが足りない」とか「覚悟が足りない」と言って自分を苦しめているのであれば一度叫んでみてはどうだろう。
「シャアが見てるのだぞ、シャアが!」
誰もそんなことは気にしていないから。
今日も良い1日を。
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